今回は近年注目を集めるオランダのマルティン・フィッサー(Martin Visser)について。日本では、まだまだ知られざる部分が多い彼のその家具デザイナーとしての顔、そして CoBrA 、クリスト、エルズワース・ケリー、ソル・ルウィット 、ヨーゼフ・ボイスなどと親交を持ちファインアートの世界で重要な役割を担った美術コレクターとしての顔を、テーマごとにスポットライトを当てながら紹介していきたいと思います。

今回この様に記事にさせていただくに当たり、ご子息であるMarja Visser氏 (https://www.martinvisser.org/ ) にご協力を仰いだところとても貴重なお写真をご提供いただき、またお話を伺うことができました。今回この様に快くご協力いただき、そして書籍や資料には無い父としてのVisser氏の生の声を聞かせて頂き、僕自身としても貴重な経験をさせて頂きました。この場を借りて深く感謝を申し上げます。

また、本ブログに掲載されています画像の一部は Marja Visser氏 より許可を得てご提供いただいたものです。2次使用などはご遠慮いただきますようお願い致します。

( Some pictures in this article were provided with permission by Marja Visser- https://www.martinvisser.org/. Please refrain from copying and using without permission. )



第一部では彼がデザイナーとして務めた家具メーカー ’t Spectrum (スペクトラム)と共に、家具デザイナーとしての側面について掘り下げて行きたいと思います。

余談ですがフィッサーの名前を日本語で調べると、マルティン・ヴィッサーであったり、マーティン・フィッサーであったりと色々と表記がありますが、英語の読みであればマーティン・ヴィッサーが近いと思いますし、オランダ語での発音だとマルティン・フィッサーが近いと思います。
このあたりは、発音の違いと日本語にしたときの揺らぎの問題なのであまり細かいことは気にせず、ここではマルティン・フィッサーとして表記していきます。

Spectrum / BR02
現在でも使用されるSpectrumロゴ、設立当初初期のものはまたデザインが違います。



■ABOUT _ ‘t Spectrum

さて、ではまずは’t Spectrumとは?からです。

‘t Spectrum(’t は英語で言うtheのようなもの) は1941年にベルギーとの国境に近いオランダ・アイントホーフェン南西部の小さな町ベルゲアイクにて誕生した家具製造メーカーです。

誕生したきっかけは紡績・生地メーカーDe ploeg(デ プルフ)の子会社として設立されたことに始まります。

1941年当時は、まもなく勃発した大戦の戦火の中にあります。当時ドイツに占領されていたオランダでは輸入の停滞による物資の不足などが深刻化し、 製織に関しても大きな打撃をこうむっていました。生産がままならないDe ploegの工場では、その状況下におけるドイツ軍による解体や強制労働から従業員やその家族を守る為に策を講じる必要がありました。

そして調達できる材料で生産でき、 製織 の技術を活かし雇用を守り続ける対策として家具や雑貨などを製造するというアイディアにたどり着きます。それが、 ‘t Spectrumの誕生のルーツです。

これは憶測なのですが、Spectrum=(音や光の)波長、光の屈折によって発生する虹のような光の現象 という意味を持つ社名などから、逆境に打ち勝つバラエティーをもった光のようなメッセージが込められているのでは?なんて思っています。

事実、 ‘t Spectrum 設立後は家具の製造だけではなく、多くのバラエティーに富んだ職人達に雇用や習熟の機会を与えていたそうです。そういった意味でも、戦火のオランダにおける光になっていたのではないでしょうか。

De Ploeg / Gerrit Rietveld
Gerrit Rietveld 設計によるDe Ploegの工場, 2002
reference : https://nl.wikipedia.org/wiki/Weverij_de_Ploeg

大戦後、De ploegの財政は回復し同時に既にDe ploegの生地を販売していた小売店へ’t Spectrumの製品を販売する機会が増え、販路は徐々に拡大していきました。

写真はそれの回復を象徴するかのようなDe ploegの工場の姿。オランダにおけるモダニズムの巨匠であり、画家のピエト・モンドリアン ( Piet Mondrian )などが参加した造形運動 デ・ステイルの重要人物でもある ヘーリット・リートフェルト ( Gerrit Rietveld )による設計。ミッドセンチュリー期フリソ・クラマー( Friso Kramer )とタッグを組んでいた、家具デザイナーウィム・リートフェルト( Wim Rietveld )の父親でもあります。

De Ploeg / Gerrit Rietveld
建造中のDe Ploeg工場, 1960
reference : Marja Visser- https://www.martinvisser.org/.

上の写真は Marja氏より提供頂いた建造中のDe Ploegの光景。中央に佇む少女が、幼年期のMarja氏。なんと形容すればよいのか。とても美しい写真です。

現在この工場は 国定記念物に指定され、新しいオーナー会社(Bruns)によってリートフェルトの意思を引き継ぐ形で丁寧に修復され、現在でもDe Ploegの工場として稼動しています。

デ・ステイル運動についてはきっとまた別の記事で。

そのように戦後の復興の中核として成長を遂げた ‘t Spectrumは、50年代後半になると新たな技術やニーズの拡大、経済の回復に伴い、戦中のコストを極力下げたプロダクトの生産から、より機能的で使いやすいモダニズムの大きな影響が見られるよりシンプルな大型の家具製造へ力を入れてことになります。

それを牽引したのが、この時期スペクトラムへ加わったマルティン ・フィッサーです。


Martin Visser
Martin Visser -彼の庭でSol Lewittをバックに
reference : Marja Visser- https://www.martinvisser.org/.

■ABOUT _ Designer / Martin Visser

マルティン・フィッサー( 1922-2009 ) はオランダ南西部の町、パーペンドレヒト出身。幼い頃より建築に明るかった父の影響より、土木工学を専攻し大戦中には製図工として働いていました。ちなみに彼の兄弟、カレル・フィッサー ( Carel Visser ) は彫刻家、 フィアジャン・フィッサー ( Geertjan Visser )は後に彼と共にアートコレクターとなります。

また幼い頃よりアートに興味を抱き、若くして収集を始めていた彼は、1943年 画家のオットー・ファン・リースを訪ね、そこでファン・リースの知人であったヘーリット・リートフェルトと出会います。この出会いは後々の彼のキャリア、家具デザイン、自邸、などいろいろな場面で影響をもたらしていくことになります。

その後、絵画を見るために立ち寄った 高級デパートチェーンであるデバイエンコルフ にて居合わせたバイヤーに出会い意気投合したのか就職、 すぐに家具部門の責任者となりました。

当時より彼は、当時盛り上がりを見せていた前衛芸術運動 CoBrA の作品を展示会に使用したり、リートフェルトにデザインを依頼するなどアーティストと積極的に関わっていきました。彼の家具デザイナーとしてのキャリアは常に、アートと密接にかかわっていることがうかがい知れます。

Sofa BR02 / Martin Visser
Sofa BR 02 Designed in 1960

そして、1953年マルティン・フィッサーはチーフデザイナーとして’t Spectrumへ招かれます。

当時まだDe Ploegの工芸部門のようでブナ材や合板など国内で入手可能な材料に頼り、スカンジナビアンの影響が強い家具や雑貨を生産していた ‘t Spectrumでしたが、フィッサー加入の翌年に鋼鉄の家具への使用がオランダ国内で許可されたこともあり、フィッサーのミニマルな趣向とあいまって金属パイプなどの使用が増え、装飾を極力少なくより機能的主義的な方向へとシフトしていきました。

同じベースを異なるモデルへ転用するデザインシステムの考案など、コストを下げ効率を高めながらかつデザインに多くの注意を払い、市場の変化に対応していきました。

それに加え、自身のデザインだけではなく彼のこれまでのキャリアと人脈を活かしヘーリット・リートフェルトやCoBrAにも参加しているアーティスト、コンスタント・ニーヴェンホイス (Constant Nieuwenhuys )、フリソ・クラマー (Friso Kramer)、コーリアン・リー(Kho Liang Le)などのデザイナーやアーティストを多く招き入れ、’t Spectrum家具デザインのバリエーションを増やしていきます。

そういった試みや手法により’t Spectrumは商業的成功を収め、現在まで残るデザインを生み出し50年代以降のダッチデザインを牽引していきました。

Constant Nieuwenhuijs
Metal Shelf dw 02/ Utrecht designed by Constant Nieuwenhuijs in 1956


また、’t Spectrumはこの成功により1970年に行われた大阪万博でのオランダのパビリオンでの家具の契約も獲得します。それによってフィッサーは一連の家具をデザインし、sz08/Osakaを生み出しました。またその派生で、kyoto、nagoya、kobeなど日本の地名がついたチェアやソファーをデザインしています。
彼のデザインした家具は、1958年よりアムステルダム市立美術館にて収蔵されているほか、近年では2012年にもマーストリヒトのボンネファンテン美術館にて展覧会が開催されるなど、半世紀以上が経った今でもオランダ国内に留まることのない根強い人気を誇っています。

Martin Visser
Posters in Amsterdam,2012
reference : Marja Visser- https://www.martinvisser.org/.


この様に戦後の復興と共に1950年代の後半から興隆し、60年代半ばに絶頂を迎える’t spectrumですが70年代には比較的高価な商品であった為に、安価な外国製の家具流入や、国内需要の冷え込みから伸び悩み74年3月に破産してしまいます。

‘t Spectrumはarspectと社名を変え復活し、1986年同社が再び破産すると1988年には新生Spectrum 社となります。その間もフィッサーのデザインは生産され続け、製造会社は変われど現在でも長く製造が続いています。

そしてフィッサーのキャリアはこれを契機によりアート方面へとシフトしていくことになります。このあたりは次のブログで詳しく。 次回はコレクター・ファインアートの世界でのマルティン・フィッサーを掘り下げて行きたいと思います。それでは、今回はこの辺で。

 

Next >> 2.コレクターとしてのMartin Visser -Truly free spirit

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references:

Jojanneke Clarijs , ‘t Spectrum ,Uitgeverij 010 ,Rotterdam, 2002

Paula van den Bosch , THE COLLECTION VISSER AT THE KRÖLLER-MÜLLER MUSEUM , Stichting Kröller-Müller Museum, 2000

Martin Visser
https://www.spectrumdesign.nl/en/designers/martin-visser/

Martin Visser verzamelaar, ontwerper, vrije geest
https://www.architectuur.nl/nieuws/martin-visser-verzamelaar-ontwerper/

Weverij de Ploeg
https://nl.wikipedia.org/wiki/Weverij_de_Ploeg


Martin Visser
https://www.martinvisser.org/

[Special Thanks]
Marja Visser- https://www.martinvisser.org/.



Posted by:noage

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