昨日のInstagramでの投稿に関して、BLMについて思うことと追記をできるだけ簡潔に。(※6/12 書き加えました。)


僕は20歳の頃カナダで生活していました。
そこで僕は外国人で、大所帯だった職場にはありとあらゆる人種、宗教、性別が入り混じっていました。出身も肌の色も思想もバラバラ。ぶつかり合うことも多くあったけど、そこに人種を持ち出すことはなく個人としてケンカをするときはする。

「respect」=尊重する
これが共通のルールでした。


嫌いなヤツは嫌いです。合わない人は合わないです。そりゃ人間だし、日本にいたってそれは変わらない。 もちろんその逆も。 10年たった今でも連絡を取る友人は、個人としてつながっているから。
「好き」や「嫌い」という感情を人種から判断することは、僕は違うのではと体感しています。

ただ、尊重や差別の排除だけでは解決できない問題も多くあるとは思います。現に貧困と教育の問題は、公民権運動のあとも課題であり続け、今回の運動の一旦を担っています。一連のデモによる略奪や暴力行為は擁護するつもりもありませんし、これらの諸問題を乗り越える為には差別の撤廃だけの話ではないと思います。

けれもど、それを乗り越える一つのアイディアとして、意識すること、知ることがとても重要だと思っています。かく言う僕も、大学時代このようなテーマの授業をなんとなく受けてきました。まだまだ、勉強中の身です。その点はどうか、温かい目で見ていただきたいのです・・。 ですが、恐れずに言うとトップや国の方針を変えるのも、国民の意識から来る投票という直接的な行動なんではないでしょうか。

ここ日本でも深い根があるし、外国から多くの雇用を受け入れている日本の現状、それはもっと大きな数になるだろうと推測できます。実際にここ名古屋でも多くの方が生活されています。 (県によると2008年の愛知での居住者は約26万人に上っています。) 世界が不安定な状態の今、こういった問題が沸きあがること。それは反面、全体にも個人にも立ち止まって考えるきっかけになると思います。

遠い海の向こうアメリカだけの話ではないと思うのです。


※追記

本来のBLMの抗議と本質からそれていると思い、instagramでの投稿は編集しました。また、この文章も本来の活動と内容はそぐわないかもしれません。ですが、差別や偏見に対し日頃より感じていること、またそれらについて何かを考えるきっかけになればと思いそのまま残すことにします。

―――





Reference
愛知県内の市町村における外国人住民数の状況(2018年12月末現在)
https://www.pref.aichi.jp/soshiki/tabunka/gaikokuzinjuminsu-h30-6.html#:~:text=%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%95%B0%E7%B7%8F,1%E6%9C%881%E6%97%A5%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%80%82

Posted in log
Posted by:noage

owner.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です